BIRKENSTOCKの歴史

ビルケンシュトック家はそのアイコンともなったイノベーションを通じて、足の健康を守るパイオニアであり続けてきました。1774年から現在に至るまでの軌跡をたどってみましょう。

1774年

靴作りの黎明期

靴作りの一族の歴史は、既に靴職人であったヨハネス・ビルケンシュトックの名が教会の資料室にある文書に記されている時点から始まります。彼は技を極めた職人に与えられる“マイスター”という資格も取得した人物です。

 

ビルケンシュトック兄弟は、革をなめし、木型に合わせ、インソールや靴底を取り付ける、など最初から最後まで手作業で行う靴づくりに没頭していた、いわば田舎の靴職人でした。当時、ドイツの田舎に住む人々は貧しく、人生で一足の靴しか所有することができない人々がほとんどであったため、靴には機能性、そして丈夫さが求められました。当時の人々は近所の靴職人にこの大切な靴を繰り返し修理させ履き続けたのです。貧しい地域では、靴が代々受け継がれることもあったといいます。詩人ゲーテが1776年に発表した『ハンス・ザクセン詩集』を靴職人に捧げていたことなども、靴作りの技術がいかに尊ばれていたかを物語るものです。

 
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1897年

シューズ革命

20世紀初頭、ドイツの日常生活は急速に変貌を遂げていました。ヨーロッパの大部分で蒸気機関、鉄道、電気がヨーロッパの大部分の人々の生活に定着しつつ合った当時、急増する中産階級が消費財を強く求めるようになり、製品が工業的に生産されるようになりました。そんな需要に対応するために新しい工場が建設され、伝統的な靴職人をはじめ、多くの職人が路頭に迷うことになってしまいました。一から靴を作る必要がなくなった職人の多くは、工場で作られた靴を修理する「靴修繕屋」へと格下げされていきました。そんななか、一部の靴職人たちは整形靴の分野へと転向していきました。靴作りにおいて品質を重視していたコンラッド・ビルケンシュトックもその一人でした。

 

ヨハン・アダム・ビルケンシュトック(1754年生)の曾孫にあたるコンラッド・ビルケンシュトック(1873年生)は、靴づくりに画期的なイノベーションもたらすことになります。コンラッドは1896年に、一族の故郷であるランゲン・ベルクハイムからそう遠くないフランクフルトにワークショップを構えました。フランクフルトは当時靴づくりの中心地だったからです。コンラッドはその地で「靴のフォルムを根本的に変える運動」と呼ばれる活動に取り組み、その理論を現実のものにしていったのです。他の若い靴職人と同様、彼は人間の足の形状を考慮した木型の設計に取り組みました。木型は昔も今も、靴作りの全工程を通して使用されるなくてはならない大変重要なツールです。木型は最終製品のサイズと形を決定するものでもあります。1897年、コンラッド・ビルケンシュトックは人間の足の構造を考慮した木型を開発しました。この木型では丸みを帯びたヒールや適応性のあるソールなど、底面にもしっかりと手が加えられていました。そして木型全体は靴の左右をはっきりと区別した、革新的な形状へと整えられていったのです。

 
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1902年

足の構造に沿って設計された柔軟性のあるインソール

20世紀が幕を開けたこの時代、自然をそのまま受けとめる自然主義が世界に広がっていきました。足を自然な形で捉えようとしたこの靴の改革運動はこのような社会的風潮の一部として発達していきます。その当時、コンラッド・ビルケンシュトックは、足を現代の靴の中でいかに完璧に“ローリング”させられるかを深く考察し始めていました。そして1902年、彼は実験を繰り返し、世界で初めて足の形状を考慮した“インソール”の製作に取り掛かりました。これは形状の整えられた木型にぴったりのものへと仕上げられていきました。コンラッド・ビルケンシュトックの「健康靴」はこの2つの要素が組み合わさって誕生したのです。当時は足の治療に金属製のインソールが使用されていた時代です。なぜなら当時、「足を治すにはまず固定」という概念が主流だったからです。しかし、コンラッドにとってインソールとは、足の治療のためだけに使われるものではなく、足全体の健康にとって極めて重要な役割をはたすものものだったのです。インソールを柔軟にして自然な歩行を促す一方で、足を支えるという安定機能も確保することが課題となりました。それは現在でもインソールづくりの課題の一つとして捉えられています。10年以上にわたって、さまざまな素材を使って実験が繰り返され、1913年には、コルクなどを混合したインソール構造が考案されました。彼は、その2種類の柔軟性に富んだインソールを「フットベッド」と名付けました。

 

1925年、彼はその有限会社であるKonrad Birkenstock GmbHのために「フットベッド」という商標を登録することになりました。

 
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1920年

BIRKENSTOCKシステム

1915年財政上の問題からフランクフルトからフリードベルクへの移転を余儀なくされたほどだったというのに、この柔軟なインソールは1920年代に成功を収めることになりました。コンラッドは足の痛みや歩行の悩みを解決するソリューションを発見した、と意欲を燃やし、それを広く伝えようと決意しました。そして、ドイツ、スイス、オーストリアを回り、靴職人たちに“BIRKENSTOCKシステム”(矯正を目的とし足の構造に沿って作られた木型を使って作られた靴と柔軟なインソールの組み合わせ)のメリットに関して講演活動に勤しむことになりました。

 

実験的、探索的な初期に、彼のアイデアは主流派の心を大きく動かすことはできませんでした。とはいえ、1920年代、大規模なインソール生産工場が設立されることになりました。

 

コンラッドは息子のカール(Carl)と共にヨーロッパを旅して回り、カールも父親の靴の機能性に対する情熱に傾倒していくことになりました。後にカールが兄弟とともに自分の会社を設立したとき、彼は販売の条件にトレーニングコースへの参加を義務付けそのコースでは、靴職人や靴販売業者に「システム・ビルケンシュトック」の適用方法やそれぞれの顧客に合わせてどのインソールをどのようにカスタマイズしていくかを細かく教えていきました。「システム・ビルケンシュトック」は正しく適用されてはじめてその実力を発揮できる。カールはそう確信していたのです。

 
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1963年

MADRID: BIRKENSTOCKの元祖フットベッドサンダル

カール・ビルケンシュトックは父親のアイディアを受け継ぎ、更に改良を進めていきました。1936年には、“Naturgewolltes Gehen(自然な歩行)”を可能にするという考えに基づき、手作業で作られた“理想の靴”で特許を取得することになりました。しかし、一切の妥協を許さないこの靴を実際に工場で量産していくことは、不可能であることがわかりました。カールはできる限りぴったりとフィットする靴を提供するため、ひとつのサイズにつき9種類のフォルムで販売することを計画しました。このコンセプトは、業界からも小売店からも手ごたえを得ることができませんでした。

 

そして1954年、カール(Carl)の息子、カール(Karl)が家業に加わることになり、熱心に新しい技術や素材を研究し始めました。カール(Karl)は、足の健康と“Naturgewolltes Gehen(自然な歩行)”という先祖からの靴づくりの指針を受け継いでいきました。そんな彼が父親とは全く異なる発想で解決策を見つけることになります。カールは彼自身が測定したすべての足の平均値をもとに、標準化されたインソールを作ろう、と思い立ったのです。この標準化された一体型インソールに「フットベッド」という名前を使い、これを備えた製品を「オリジナル・ビルケンシュトック・フットベッド・サンダル」と呼ぶことに決めたのです。当時まだ「ブルーフットベッド」という名前で販売していたとはいえ、これが今日私たちが知っている天然ゴム混合フットベッドが誕生した瞬間です。

 

先代同様、カールも時代の流れに敏感な実業家でした。カールは近代建築におけるブルータリズムに大きな影響を受けたと言われます。1963年、BIRKENSTOCKが元祖フットベッドサンダルを発表しました。この製品は、構造がむき出しになった形でデザインと一体化、つまりブルータリズムの影響をはっきりと見て取ることができます。このサンダルのベースはコルクと天然ゴムを芯にした柔軟な、そして標準化されたフットベッドであり、そこには簡単に調整できるストラップが取り付けられました。しかし、カール・ビルケンシュトックはまたも時代を先取りし過ぎていたのでしょう。イタリアのスティレットの影響を受けていた1960年代の靴のファッションは、カールのサンダルのアバンギャルドなスタイルを受け入れませんでした。1963年にデュッセルドルフで開催された靴の見本市での発表は手ごたえのない結果で終わってしまいました。モダンでシックな靴と謳ったにもかかわらず、成功への最初の道は、ファッションではなく、すでに培われてきた医療分野で切り開かれていきました。

 

カール・ビルケンシュトックは、医師をパートナーとしてこの靴を広めて行くことになりました。彼はサンダルの機能性を詳しく説明したパンフレットを作成し、それは医療関係者から大きな反響を得ることになり、すぐさま医療従事者からのサンプル要請が殺到することになりました。しかしこれは、サクセスストーリーのほんのはじまりにすぎません。ライフスタイルが急速に変化していた20世紀、余暇の時間が増え、人々はその時間の多くを家庭内で過ごすようになりました。家のなかで履く靴は、スタイルよりも履き心地が大切だと理解し始めた人々は、憩いの時間に履くフットウェアとしてBIRKENSTOCKを選ぶようになったのです。

 

BIRKENSTOCKの元祖フットベッドサンダルは、様々なサブカルチャーの人々にも広がっていきました。彼らはあらゆる常識をも打ち破るサンダルを履くことで、型破りなライフスタイルを表現していきました。当時は410から431、と製品番号で呼ばれていたこの‟フットベッドサンダル”に、Madridという名前がつけられたのは1979年のことです。BIRKENSTOCKの天然素材へのこだわりに忠実に製作されたこのサンダルのアバンギャルドなデザインは、現在もほとんど変わっていません。

 
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1964~1983年

その他のアイコン

甲を覆った新しいモデル:ZÜRICH
1964年

 

絶好調の波に乗ったカール・ビルケンシュトック。その後数年にわたり、彼の創造性が発揮されたより画期的なスタイルが発表されていきました。1964年秋、ハンブルクで開催された「足と靴の見本市」で、のちにZürichとして知られる「甲を覆った新しいモデル」をお披露目しました。カールはこのデザインの中核にもブルータリズムを取り入れ、構造そのものを見せつつもクリアなシルエットが完成します。Zürichは甲を広く覆うアッパーにレザー仕上げとウール仕上げの2種類を用意し、屋外だけでなく、スリッパとして室内でも履けるサンダルになりました。ストラップが1本のMadridがいわゆる「靴」とはみなされず、特に男性はサンダルを履くことに抵抗があったこの時代のために、カールはMadridと同じコンセプトを採用しながらも、足の大部分を覆えるZürichをデザインしたのです。機能性の観点から、幅広のアッパーによる甲のカバー、サポート感やグリップ感を求めていた人々がZürichを発見すると、高齢者やドライバー、専門職に従事する人々に大人気のサンダルとなりました。その一方で、MadridとZürichの2つのモデルは、デモに参加するカウンターカルチャーの人々や、健康増進のための靴という考えを受け入れつつあった一般大衆にも受け入れられるようになります。これまでの常識を破ったデザインコンセプトが一歩ずつ、メインストリームになり始めたのです。

 

ツーストラップサンダル・ARIZONA
1973年

 

1973年11月は、BIRKENSTOCKの歴史において「Arizona」が登場した重要なターニングポイントとして記録されています。ArizonaのデザインはZürichをベースにしています。カールはその厳格なデザイン哲学に従い、シルエットはそのままに、Zürichのアッパーから足を「解放」したのです。当初はスポーツウェア風の合成繊維に本革ライニングをあしらったアッパー素材を使用した、ブラックとホワイトの2色展開でした。Arizonaはその後40年以上にわたって、数百のバリエーションで展開され、数百万足が売れたBIRKENSTOCKの定番中の定番、フットウェアのアイコンへと成長していきました。今日、ArizonaはBIRKENSTOCKのサンダルを象徴するような存在です。このデザインは有名ファッション誌で取り上げられただけでなく、老若男女問わずセレブリティの足元を飾るアイテムとなりました。1970年代にすでにBIRKENSTOCKを愛用していたApple社の創業者スティーブ・ジョブズをはじめ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリア・ロバーツ、シャーリーズ・セロン、トレーシー・エリス・ロス、チョン・ジョングク(BTS)、ジジ・ハディッド、カイア・ガーバーはArizonaのファンに名前を連ねています。

 

コルク製クロッグ:BOSTON
1976年

 

1970年代、BIRKENSTOCKはコルク製のクロッグ製作にとりかかりました。当時の木製クロッグに多くみられた重さや硬さのない、軽くて柔軟な一足としてBostonが完成します。このクロッグが店頭に並び始めたのは1976年のこと。多くのカラーや素材で展開したこのミニマリストなクロッグは、屋内外を問わず、仕事やレジャーのための新たな定番スタイルとして定着していきました。BIRKENSTOCKならではの機能性と品質を、ファッション性の高いパーツ(最近のものではファー(シアリング)やビッグバックルなど)と組み合わせたBostonは、根強いファン層に支えられています。Bostonファンには、ウーピー・ゴールドバーグ、シエナ・ミラー、キーラ・ナイトレイ、ロバート・パティンソン、カニエ・ウェスト、ジェイソン・モモアなどが名前を連ねています。

 

トングサンダル:GIZEH
1983年

 

カール・ビルケンシュトックはファッショントレンドは追わず、カラーバリエーションを増やす程度にとどまっていました。彼は自分のサンダルのアイコニックでベーシックなデザインを、ファッショントレンドに合わせようなどとは考えませんでした。しかし、トングサンダルが一般的になった当時、カールはこのスタイルを新しくデザインすることで、何か特別なものを作り出せるのではと感じるようになりました。この「草履」の形はこれまでのBIRKENSTOCKフットベッドとうまく組み合わせられなかったので、カールはトングサンダルにぴったり合う新しいフットベッドの設計にとりかかります。3年の試行錯誤を経て、彼はBIRKENSTOCK初のスタイルから触発されたトングサンダルのコレクションを完成させました。「Gizeh」は現在の定番コレクションにもあげられるほどの大人気製品となりました。このシックなスタイルは、ジュリアン・ムーア、ハイディ・クルム、アン・ハサウェイ、アシュリー・オルセンなどに長年にわたって愛されています。

 
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1985年

ファッションとの対話を始めたBIRKENSTOCK

足の健康への熱意はそのままに、BIRKENSTOCKはファッションの世界へと足を踏み入れていきました。ファッショントレンド一辺倒でブランドの哲学を犠牲にすることなく、美と機能性を融合させていったのです。1980年代から90年代にかけての好景気の中、依然として医療関係者や自然志向のカウンターカルチャーの人々が国内の顧客の中心であったものの、BIRKENSTOCKは海外に製品を販売し始めていました。そんな時、思いがけないことが起こります。1985年、写真家キム・ノットがイギリス版『ELLE』誌にARIZONAとBOSTONを使った日本風のアバンギャルドな写真を掲載し、1990年7月には、写真家コリーヌ・デイが撮影した、BIRKENSTOCKのPALERMOとRIOを履いてポーズをとる当時16歳のケイト・モスが『フェイス』誌の表紙を飾ります。整形外科的な靴の木型の発明から90年後、BIRKENSTOCK製品は突然レッドカーペットやランウェイに姿を現すことになったのです。

 

BIRKENSTOCKは突如ファッションブランドとして世界から注目を集めるようになりました。ファッション界でもてはやされつつも、BIRKENSTOCKは信念を貫いていきます。フォルムやフットベッドはそのままに、アッパーの色や素材の選択肢の幅を広げ、他のブランドやデザイナーの案を受け入れていったのです。1993年春、ペリー・エリスのためにデザインした「グランジ」コレクションで、マーク・ジェイコブスがアイコニックなARIZONAをナチュラルレザー、シルク、スエード、そしてラインストーンのついたバックルをあしらったプレミアムモデルで新しく定義します。この限定版ARIZONAはBIRKENSTOCK始まりの地であるドイツの小さな村、ランゲン・ベルクハイムとはかけ離れた、ニューヨークのバーグドルフ・グッドマンで限定発売されることになりました。

 

2000年代初頭、BIRKENSTOCKはドイツのスーパーモデル、ハイディ・クルムに3つの定番モデルのデザインを依頼し、ファッション界との関係を深めます。ARIZONA、MADRID、AMSTERDAMが、バイカーをイメージした反抗的なデザインで「グラマー・コレクション」の一部として新しく登場したのです。このパートナーシップの成功を受けて、BIRKENSTOCKとハイディ・クルムは「アフリカ・コレクション」「サード・コレクション」「グラフィティ・コレクション」を次々に発表していきました。

 

機能性をスタイリッシュに楽しめることを証明したとして、これを機にファッション界は、ハイヒールから足に優しいフットベッドへの移行を始めます。これまでのパートナーシップの成功に後押しされて、BIRKENSTOCKはリック・オウエンス(2018、2019、2021年)、メゾン・バレンティノ(2019、2020年)、ジル・サンダー(2021年)といった有名デザイナーや、ロンドンの伝説的ファッションスクール、セントラル・セントマーチンの学生たち(2021年)とのコラボレーションを展開しました。

 

その一方で、BIRKENSTOCKはもう一つの伝統であるライブイベントも継続していきました(20世紀初頭にコンラッドとカール・ビルケンシュトックが開催したトレーニングコースやセミナーと比べて、2010年代に開催されたライブイベントはより華やかなものでしたが…)。2017年、ドイツの高級セレクトショップ、アンドレアス・ムルクディスとのコラボレーションで、建築家がデザインした移動型ポップアップショップ「BIRKENSTOCK BOX」がベルリン、バーニーズニューヨーク、そしてミラノの10 Corso Comoに登場しました。

 

カール・ビルケンシュトックが「理想の靴」という独自のコンセプトを発展させ、1960年代のファッションに逆行したMADRIDを生み出したのと同じように、2010年代後半には、既成概念に挑戦し、美とスタイルの境界線を押し広げるファッションデザイナーが続々登場してきました。ファッションと機能的なフットウェアを融合できる時代が到来したのです。これは、定評あるデザイナーや新進デザイナーとのコラボレーションを展開するBIRKENSTOCKのクリエイティブスタジオ「BIRKENSTOCK 1774」の立ち上げにも反映されています。BIRKENSTOCKは世界のファッションの中心地、パリに根ざすことになりました。

 
 
 
 
1991年

"MADE IN GERMANY"

1980年代末の時点で、ビルケンシュトック家は200年以上にわたってドイツの靴作りの伝統に携わってきました。1970年代、多くの企業が人件費削減のために国外に生産拠点を移していた中、BIRKENSTOCKはその流れに逆らい、国内にとどまりました。20世紀後半には、熟練工による手作業を加えつつ、インソールやフットベッドは工場で生産されるようになり、完成した製品は、フランクフルトから世界中に出荷されていきました。その後も需要は増え続け、BIRKENSTOCKは生産能力を増強する必要に迫られます。1990年代初頭、ドイツではベルリンの壁が崩壊し、東西分断の歴史が終わり、新たな時代が幕を開けました。喜ばしい転換となったのです。統一ドイツでは、企業の東ドイツ諸州への進出・雇用の拡大が推進されていました。「すべてのサンダルをドイツで生産する」、そんな哲学にこだわっていたBIRKENSTOCKは、東ドイツ・ザクセン州内各地に積極的に拠点を構えることになりました。1991年7月1日、ベルンシュタットにサンダルのアッパーを加工するための最初の拠点をオープンします。続いてシェーンバッハにある製織工場を買収し、そこで天然ゴム混合フットベッドの製造を始め、その後派生コレクションであるBIRKIサンダルの生産がスタートしました。1993年には、クロッグアッパーのプレフォームの組み立て・ストラップの挿入・バックルやリベットの取り付けを行うラインがザイフェナースドルフに移転します。そして2009年、ゲルリッツに天然ゴム混合フットベッド生産のための近代的な拠点が設立されました。新しい拠点を選ぶ際には、BIRKENSTOCKでは「自然が近くにあること」「会社のドイツ的なルーツに忠実であること」を常に重視しています。低賃金労働者を搾取するような海外移転の考え方は、BIRKENSTOCKの理念から遠くかけ離れたものだからです。お客様、そしてお客様のエシカルな価値観は、BIRKENSTOCKの発展に欠かせない重要なポイントです。

 
 
 
 
新たな冒険

今、そしてこれから

2010年代に入り、BIRKENSTOCKの歴史上初めて、ビルケンシュトック家のメンバーが経営から離れることになりました。そして、企業経営のプロ、マルクス・ベンスベルグとオリバー・ライヒェルトが経営に参画することになり、彼らの指揮のもと、BIRKENSTOCKグループが誕生しました。このアプローチを通して、売上はかつてないほど伸び、ブランドとしてのステータスもますます高まっていきました。素晴らしい業績を上げた2021年を最後に、共同CEOを務めていたマルクス・ベンスベルクは経営と日常業務から退き、オリバー・ライヒェルトが単独CEOとして会社のトップに立つことになりました。

 

進化は必要不可欠なものですが、変わらないものもあります。1902年にコンラッド・ビルケンシュトックが考案した革新的なフットベッドは、現在でもビルケンシュトックの哲学である“Naturgewolltes Gehen”(自然な歩行)の礎となっています。BIRKENSTOCKはまた、スリープシステムやナチュラルスキンケアの導入により、この原則を総合的なアプローチで発展させています。BIRKENSTOCKスリープシステムは、足の健康を考慮した解剖学的なフットベッドというアイディアから生まれた、体全体の健康を考慮した解剖学的なベッドです。これはフットベッド同様、身体の形状に適応し、最適なサポートを約束するものです。また、“BIRKENSTOCK NATURAL SKIN CARE”も、「健康」を考慮して作られたものです。これは化学物質を一切使用していない、“Made in Germany”の自然派化粧品です。ここに配合されているのは、BIRKESTOCKのフットベッドに弾力性を与えているお馴染みの天然素材、コルクです。コルクはこの化粧品の有効成分として重要な役割を担っています。

 

BIRKENSTOCKでは、日々需要が増す製品の生産体制を強化していくにあたり、“Made in Germany”へのこだわりは変わりません。現在ドイツ北東部の町パーゼヴァルクに新たな生産拠点を建設しています。「自然な歩行を人々にお届けする」、そんなビルケンシュトック家の歴史的な使命は、これまで以上に生き生きと前進しています。

 
 
 

カート

ローディング